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大家さんがディナーに誘ってくれた夜の写真

 

 

 

久々に開いたはてなブログ。

はてな はひらがな、ブログ はカタカナ

このバランスの良さ(悪さ?)が好きだから、このブログサイトを選んだ。

(友人達にはnoteを勧めてもらったけど、なんだか、わたしのような素人も受け入れてくれる意見掲示板だとしてもnoteは少しちがうかもと思った。だって、noteには特に言葉を使って感情を伝えたいだとか、きっとすごく校正を重ねて綺麗に文章を書いてる人とか沢山いるんだもん。そしたらそれこそ「はてなブログ」も定番だろって言われちゃうかもだけど、わたしみたいな殴り書きでものを書くおしゃれじゃない人達も沢山いる(ように見えてる、すいません)、少し古くさくてダサい感じのある「はてなブログ」が私は好き。なんだそりゃ)

 

 

 

これは、その時どんなことを学んだのか、感じたのか覚えとくためだけの殴り書き文章でふ。

そして、明日(もう今日である)のEconomicsのレクチャーが憂鬱で、就職したい会社が一向に社員採用を行ってくれず落胆で、そんな負感情のおかげで全く眠れない大学生は、もう朝が来てしまいそうな夜中に大好きな漫画『天才バカボン』のバカボンのパパの名言たちに励まされており、半目の状態でそれをメモしておきたいと思ったのである。

 

 

 

『自殺なんていいから、ワシと遊べ!!』

なにこれ最高。

なんて自己中でワガママなんでしょう、でもこれで1人の大切ないのちが守られたと思うと…パパの言葉、尊い。

 

 

『 自分トフタリッキリデ暮ラスノダ

     自分ノパンツハ自分デ洗ウノダ

     自分ハ自分ヲ尊敬シテイルカラ

     ソレクライナンデモナイノダ

     自分ガニコニコスレバ

     自分モ嬉シクナッテニコニコスルノダ

     自分ガ怒ルト自分ハコワクナルノデ

     スグニ自分ト仲直リスルノダ

     自分ハトッテモ傷ツキヤスイカラ

     自分ハ自分ニ優シクスルノダ

     自分ノ言ウコトサエキイテイレバ

     自分ハ自分ヲ失ウコトハナイ

     自分ハ自分ガ好キデ好キデタマラナイ

     自分ノタメナラ生命モ惜シクナイ

     ソレホド自分ハスバラシイノダ     』

 

これは作者の赤塚不二夫先生と、詩人・谷川俊太郎先生のコラボ作品。

"自分の言うことさえ聞いてれば"

きっとこの部分が、たくさんの人にとって課題なのかもしれない。

自分のこと、たくさん愛してあげてね。

 

 

然るべき病院に行けばそれなりの判定結果がいただけそう、と本気で思ってるほどのわたしの自己肯定感の低さ。もちろん自己肯定というのは自分の考え方を変えることが1番大事だと思う、でもすこしね、聞いて欲しいことが。

 

これはイギリスに来てからですが、例えば私の髪型、アクセサリー、服、そしてその時は私がラップトップに貼ってるステッカーを褒めてもらった。日本でもそれはよくあったけど、ここでは私がそれを選んだ理由・過程までききだして、共感してくれようとする。

たしかに自分が身につけているものにはそれを身につけているそれなりの理由が、特に私には結構強くある。 だから誰かが訪ねてくれて私のパーソナリティまでちゃんと共感してくれようとする方法がとても好きだし、参考にしたいと心から思う。

そしてねこれはよく思ってたことだけど、人の「身体」について言及することは特にタブーだと感じる。例えば細いとか脚が長いとか一見褒め言葉だけど、他人が人の身体にとやかく言及するのは失礼なのよ。って思ってたことがこちらでは一般的なのが、実は心地よかったり。

身体は人の数だけ何通りもの種類があって、どれが見目麗しいだとかどれが醜いだなんて、勝手に空気が決めたこと

そんな空気採点されたくないものね。

(でもまあ健康は大事よね

 

 

 

バカボンのパパ様がいうとおり、

明日からも、

例え生理が重くて苦しむとしても、

自分とふたりっきり

楽しく過ごしたいものなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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バルセロナに居る。

 

Museu Nacional d'Art de Catalunyaのエントランスのベンチでパンフレットを読んでいると、話しかけられた。

 

 

 

3時間も話し込んだ。こういうときわたしはもし可能であれば政治、思想、languageのスキル、音楽や芸術の 話をするのが好きだ(もちろんセンシティブな話題は避けるべきなことも多い

でも、今回は少し違うような、その場の感情に任せて、話題が次々と変わって正直話した内容も覚えてないような。不思議なはなしだけど

 

 

いつも思う、自分がもっと英語が出来たらと、今回ほど痛感したことはない。

 

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その人物が見せてくれた言葉。サグラダファミリアにあるガウディのフレーズ。

 

あなたはきっとまたマンハッタンに来るだろうと、だからニューヨークに来たときに必ず連絡をと念を押してくれた。

 

Respectという言葉以外当てはまらない人物だ、わたしはそれを伝えられただろうか。ああなりたい、そう思った、わたしの夢をとうの昔に叶えてる人だ、そして今を頼んでいる、今というよりは、その一瞬一瞬を楽しめる人

 

両親のよう、大好きな先生のよう、またはわたしの全てを知っている友人のようだ

 

次会えた時、いつか分からない5年後か10年後か、もっと先か。

でも必ず叶うと心のどこかで分かってる、きっとすごく感動的な瞬間になる、

その時までわたしは成長できてるのかな

大切なのは今この瞬間、例えスペインの太陽の下でも暑さに熱気に、負けないことだ。

 

 

 

 

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八月の終わり。

 

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夏授業最終日にはクラスメイトと先生たちで、大好きな街・Lewesへ。

 

 

朝からビールを求め集まる大人たち、そんな中でひときわ落ち着いて見えるRiverside cafe

 

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Barcelonaに長く住んでいた1人の先生が、わたしの今度の旅行のためにたくさん情報を教えてくれた。

 


夏だからこそ、その空の下で花開くモデルニスモ建築、天才と呼ばれたガウディに花の建築家・モンタネール、彼らの後を継ぐプッチの作品たちが彩る活気溢れる街並みを見たい思った

 

 

帰国後は引っ越しに、ルームメイトたちと突然決まった旅行。また、きっとあっという間に時間が過ぎていく

 


こちらの大学の練習を、と、受けてみた夏季の授業だったけど、想像をはるかに超えるすばらしい人たちとの出会いと、沢山の色鮮やかな経験

1ヶ月後の、新たな出会いや経験のためにいま何ができるだろう

 

 

先日、ロンドンのOxford Circus近くにあるThe Photographer’s Gallery でこんな言葉を見つけた


"Photographer have borne witness to these new lifestyles and struggles, exploring the margins of society and capturing the violent poetry of the body.”

 


そして彼らは伝える。形を残しながら、それを介して真実を

そしてそれを使って、正しいことを正しいと、訴えていく人は誰だろう。

わたしにはやるべき事が沢山ある。

 

Lewes

 

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ルイス

イースト・サセックス州の首都だとは思えない、小さくてこじんまりした街。

 

ヴィンテージ品を集めたアンティークショップが目抜き通りに立ち並び、毎週末教会の中で行われている蚤の市には小さい街に溢れんばかりの数千人のバイヤーが世界中から訪れる場所

 

西アフリカ・中南米・インドを中心とした南アジア地域、一体何処から仕入れてきたんだろうなんて思うインテリアや置物に人々は惹きつけられる様を見ながら、

わたしは血眼で、小さな薬局でもコンビニでも、フラッと立ち寄れることができる生活に必要なものを買うお店をチェックしていた

 

 

わたしがルイスに来たのは、次に住む家の内見のため。

今住んでいる場所から一駅先、7分電車に揺られ着くことができるこの街ルイスにわたしは9月に引越しをする。

 

内見といってもほぼほぼ気持ちは固まっていたから、大家さんと初めて会い、ラブリーなお犬とやや緊張ぎみのおネコに挨拶して地下から3階まであるお家を案内してもらった。

 

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本当に美しい街。

 

基本的に家は古い建物をそのまま使いながら工事を重ねていくように、イギリスには全体的に古いものを大切にする、自分たちの歴史と文化に誇りを持ちながら保っていくことを大切にする感覚がある

 

Brighton中心部も今や商業施設も立ち並ぶような都会だけど、ところどころに独特な生い立ちと歴史を感じられる場所を沢山残している。

 

それが特にルイスには強い。

"Bloody Mary”として恐れられたメアリー1世の統治時代、彼女が国教をカトリックに変えたことでルイスに多く住んでいたプロテスタント信者たちが火刑に処された。

 

次に彼らが日の目を見るのには次のエリザベス1世の時代を待つ必要があったけど、だからこそルイスの街にはプロテスタントの誇りと失いたくない思いを強く感じられ、宗教的で中世の時代が色濃く残った雰囲気を感じられる

 

事情は違うけれど、国家が個人の信仰の自由を奪い、多くの命まで奪ったかつて禁教令を思い出した。今でも、長崎県はクリスチャンの割合が日本でも2番目に多い場所だ

 

 

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9月にここに越してくる

でも、その前にはやることが沢山あったんだ

 

ここの天気はくるくる変わる。

雨の予報が出てる日に雨が降ったことはなく、さんさんと晴れた空は突然、太陽を隠さないままに大雨を晴らすことがある。

 

気候にも、大学にも疲れ切ってしまった身体にはPrestatのチョコレートと紅茶と、そして充分な睡眠時間が必要だよねと自分に言い聞かせながら、ゴロゴロ

そんなスペシャル濃厚タイムは私には不可欠

 

 

 

 

 

 

ブライトンにあるイタリアンレストラン

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遠くから眺めるだけでおもしろかったイタリア人マスター。

 

 

 

 

はじめて1日はとても長かった。

 

それ以来の毎日は、1時間ずつが一瞬で過ぎていく。今日やるべきことを考えながら、美味しいご飯を(忙しい中作ったぞという意識が、どんな味でも達成感が味をよくしてく)を食べてるだけで、今日をやるべきことを今日やることが出来ずに終わっていく。そんなこんなでわかったのは、今日やるべきことは案外今日やらなくても済む。

 

1日が48時間あれば、という月並みな表現は頻繁に、generalに人々に思われてるからこそ、月並みに成ったんだなあ、いやあたりまえか。

 

 

 

時差があって故郷の時間感覚はわからなくなってきてしまったけど

今日は特別

8/6。この日は広島に原爆が落とされた日だ。

教科書に載らない名前もない人々が何万と、語り継いできた大事な日。

地道な歩みによって必死に守られてきた平和を、強大な権力が一瞬にして奪おうとしている現実が、日本でも起きている。

立ち向かう勇気と、権力との闘い方を知る必要があるという、穏やかに平和を祈ることが出来ない事実を哀れみながら、知ることをが求められることが多過ぎる。

 

歴史が常にそうだったように、それは人々の動きによって動かされ作り出されるように、

そういう時代のまっただなかに自分は居るのかもしれないなんて思うなあ

 

 

 

 

 

 

 

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「漱石枕流」


自分の失敗を認めず屁理屈を並べる頑固さ、負け惜しみの強いことを表すこの故事から、夏目漱石は自分のペンネームを決定したという。


わたしも彼と同じく頑固者、

恥ずかしいけど、頭の中では自分にとって都合のいい言い訳ばかり並べてる

そんなわたしはやってけるかな。

 


漱石はというもの、

当時のロンドンの冷たい風に当てられ、

より卑屈に、そしてイギリスに対する過大評価は仇となり彼をひとり孤独と焦燥の中に閉じ込めた。


まあ、時代が時代だったんだとおもう。サイード批判の『大英帝国のオリエンタリズム』には、帝国主義の最盛期ですらイギリスでは東洋への敬意が示されたなんてあるけど、本当のところは分かるはずもなく

 


自分の順応さと寛容を信じるしかない。


しかも、自分が抱いてる不安はきっと、

現地での処遇云々ではなくて

長い道のりのなか自分がやっと辿り着いたスタート地点

ほんとうに間に合ったのか、もっと上があったんじゃないか

あるのかということだと思う

 

あまりにも陳腐

調べたり検索する気にもならない

もうここまで来たら、経験を押し通してただ自分を認め前を向くのみなのかもしれない

そんな風に一度、すこし、開き直っちゃえば

すごく心が軽いかんじ

なんだかんだ言って、「スーパーポジティブ」っていうフレーズ、必死に自分のモットーにしようとしてる現在進行なんだったわ

 

 

明日ロンドンに発つ。

日本では、すぐに梅雨が明けるらしい